カルテ記載の指導
過日医師会から”新規指定医医療機関の指導講習についてお願い”と云う参考資料をいただきました。我々開業医は新規に開業するとしばらくして呼び出しがかかり、指定されたカルテを持参して指導講習と云うものが行われます。ここでカルテと照合しながら指導を受け、適切な保険請求について指導とは名ばかりの虐めを受けることになるようです。私はたまたま亡き父の診療所を休診にすることなく引き継いだためか、この憂き目を見ないで済みましたが、中には以前ホームページにも書いたように、自殺に追い込まれるほど酷い虐めを受けたドクターもありました。
今回の資料の中にはこのようなものが見受けられると云うことで、62項目の指摘がなされていますが、実際に殺人的な外来の混みようを知らないような、臨床経験のない担当官、或いは臨床の診療を出来なくなった高齢の担当官(自殺に追い込んだ担当官は90歳! 自殺したドクターは30歳代)が昔の帝国軍なみの考え方でやっているものと想像しています。いつぞや学習ビデオで問診の取り方なるものを見たことがありますが、一言患者に対して質問をし、聞き出した答えを丁寧にカルテに記載し、そしてまた一呼吸おいて次の質問をする、そんな場面がありました。全く現場、医療の第一線を知らない人間が編集したとしか思えない(机上では理想の医療像ですが)診察室の図でした。私自身はなるべく患者さんの目を見ることが出来るように、診察室の机に丸みを持たせ、90度よりも鈍角でも患者さんと斜めでも向かい合えるように診察室の設計をしましたが、今では机を挟んで対面しながら話が出来るようになっている診察室も多く見かけるようになりました。
今や医者は患者さんからの注文は受けるのはもちろんですが、保険の支払い基金の注文にも充分に応じなければならず、記載漏れ等については支払いをしない、訂正もさせない、このような指導が値引きのための伏線になっているように考えています。医療費抑制、これが第一義であることが目に見えてきます。
かつてのカルテ記載はホントに簡単なものだったようです。私が父から診療を引き継いだとき、カルテには保険点数のみしか記載がないなんてものがざらにありましたが、これがもちろん良いとは思いませんが、なるべく時間をかけずに次から診察室に入室される患者さんの診療を、それもなるべく待ち時間を短くすべくやっていくのには本当にジレンマがあります。少なくもカルテに事細かな記載を要求する人間からは、患者さんを待たせるな、待ち時間を短くするように努めろと云う言葉は出てきません。よく3分診療と云われますが、患者さんが出入りする時間、カルテを記載する時間を勘案すれば、それは恐らく2分を切ってしまうのではないでしょうか?
かつては開業医は1日30人の外来患者が来れば成り立つと云われていました。少ない患者数で、充分な対話、指導が出来、そして医業として成り立てばそれは理想的な事ですし、私も希望するところです。しかし今の保険診療は、前からも書いているように数をこなすことを強要されています。医療器械は全て異常な高額に設定され、薬価も欧米の2~3倍、そして診療報酬は全世界から羨望の眼差しを受けるほどの安値。それでカルテの記載について厳しく注文を受け、この環境下で理想の医療を提供するには、医者それぞれが緩衝役になるしかないのです。またナース達も重労働でありながら充分満足できる収入は保証されず、ましてやこれから営利目的の株式会社が医療現場に投入される、こんな環境で10年後20年後の医療が立ちゆかなくなるのは火を見るより明らかです。確かに医療はあまり不況の影響を受けません。しかし営利目的の会社が参入してくることによって、時代の状況に応じて医療の中身が変えられてしまうのは容易に想像がつきます。医者仲間では”もう保険診療は終わりだよ”と云う言葉もしばしば聞かれます。その一方で、患者さんからは保険が利きますか? の質問を外来で、電話でよく受けます。当院では殆どが保険診療、大部分で保険が使えますよと云う答えで診療が進むことが多く、私自身保険外診療はいろいろな悩みがついて廻るものです。
現場を知らない、机の上だけでものを考える人間が権力を持っていろいろと注文を付けることに本当にヘキヘキしています。「だったらお前やってみろよ!」と云いたくなることもしばしば。特にカルテの記載に関しては、時間との戦いの様相を見せています。前述の自殺されたドクターについての記録をたまたま目にする機会があり、その中に”上気道炎(風邪)の患者については体温を記載すること”と書いてありました。これだけ見るとしごく当然のように思いますが、たまたま記載漏れがあったところを突っつかれた挙げ句このような記載になったことが、全体の文章を見た流れから容易に想像できます。恐らく「体温も書いてね~じゃね~か?!」と責め立てられたものと私は勘ぐっています。今電子カルテが我々医師の間で話題になり、より簡単に入力出来るような工夫がなされていますが、私自身がそれに注目するのは、カルテ記載に文句を付けられる懸念をはらいさり、定型的でもより多くの情報を患者さんと目を合わせながらでも入力することが出来そうな点に魅力を感じるからです。前にも書いたカルテ開示の話し、電子カルテになれば、その患者さんの部分をフロッピーにコピーして渡すなんてことも可能でしょう。まあ私にとってはカルテを見せろなんてのはバッシングの一環にしか写りませんが、そんなことよりも患者さんとの対話、そして何よりも患者さんの満足できる結果を出すことに努力するのが一番と考えています。カルテの記載に時間をかければ何処かで抜け落ちる部分が出てくる、そうであってはいけないことを充分承知しているつもりですし、もし限られた時間の中でカルテの記載と患者さんへの良い結果の二者択一を迫られるのであれば、私は遠慮なくカルテの記載を切り捨てます。カルテに患者の体温を記載したって、その人の辛い症状がなくなるわけではありませんから。