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教育は何処へ?


 ある日の昼休みちょっと銀行に用を足しに行き、その帰りにいつもの喫茶店でコーヒーを飲みながら一休み、ふと外を見ると”家庭教師の○○○○○○”と云う看板が出てきました。一方本屋さんでチラッと見かけたキャッチコピー、”ゆとり教育は計算力を低下させる”? ゆとり教育が叫ばれる中、国が行う義務教育はその使命をコマーシャリズムの商用教育にその座を譲り渡す、若しくは責任転嫁させている? 私はそんな風に考えています。実は最近息子の家庭教師についてそんな会社から話を聞きました。もう完全にベルトコンベアー化しているシステム、まず向こう3年間の教材を買えって。数学一教科で30数万円、他に英語や理科(息子も今のところ理科系志望ですから)も後から請求が来るのでしょう。とりあえず始めての面談の際に自動引き落としにするため銀行印を押せって。恐らくは良い(と云うよりも息子に合う)先生ではなかったら、その前倒しの支払いは帰って来ないのでしょう。どう考えてもおかしいと思った私は一時返事を保留にして、同じ年頃の子供を持つ親友に相談しました。彼の答えは”そんなこところ止めておけ!” 結局今は個人的に紹介していただいた素晴らしい先生にお世話になっています。
 教育、これは個人個人それぞれに向き不向きのやり方があり、非常に難しい問題、しかも思春期と云う人間形成、人格形成の発展途上時、非常に脆弱な時期であることを勘案すれば、おいそれ株式会社のベルトコンベアーに載ることは凄く怖いことではないかと私は考えます。一方義務教育の現場でも、その重責の担い手である教師達は大変なストレスに晒され、自らも精神的に病んでくるような状態、私自身自分の診療所で怪我をした子供を連れてくる先生や、実際に校医をやっている学校に出向いて話をする先生を見るにつけ、世の先生達がまるで腫れ物に触るか、或いは怯えるように子供と接しているように感じています。ある私立の学校の先生が、日頃の子供との接し方を咎められ、もうノイローゼ状態に陥っている時に私は檄を飛ばしたことがあります。”先生!何云ってるんだよ! そんな先生を気に食わない親だったらさっさと学校を辞めて貰えば良いじゃないですか!? 少なくも私立であるその校風を認めて入ってきた生徒なんでしょう? 先生もそれくらいのプライドを持ったって良いんじゃないですか!?”と。ちょっと言葉は汚かったかも知れませんが、バカな親の言動にビクビクする先生を見て、何ともイライラしたものです。また子供の怪我を先生達は凄く怯えているようです。クラブ活動で柔道でもラグビーでも、結構危険なことを学校でやっています。怪我したってそれはやむを得ないじゃないですか? 当家の息子も柔道の試合でものの見事に鎖骨をへし折られて帰ってきました。「頚の骨だけは折らないように気を付けろよ。」 それが私がその時に息子に云った言葉です。監督の先生も「父さんに診てもらえ。」の一言です。それをバカみたいに怪我したのは先生のせいだと責める親がいるんだそうです。じゃあ、運動部は辞めて絶対に怪我しないようなクラブ活動(○○をなんて云うとまた怒られそうですから)をやらせておけば良いじゃないですか。
 現在日本では教育のレベルが、今の子供達の知的レベルが下がってきていると云われています。こんなに世界の先端を走ってきた先進国日本で? それでもまだまだ日本の子供のインテリジェンスが世界に引けを取っていないと云う証明が最近なされました。もしホントに日本の子供のレベルが落ちているんだったら、ゆとり教育どころではないはずですね。ついに公立の学校では完全週休二日制が導入され、これがまずゆとり教育の第一歩になったようです。ゆとりを持つ子もいるでしょう。だけど土曜日に全日で塾や進学教室へ行く子もいるはずです。結果は? 当然出来る子と出来ない子の差が開くでしょうね。もちろん置いて行かれないようにその子も努力すべきだし、またそれをアシストする親の責任も重大になってきます。私は国の教育政策が競争させようとしている、差を広げさせようとしていると勘ぐっているのですが、そうではないでしょうか? これからドンドン日本の社会が経済的にも知的にも衰退していって、世の中に付いていけない子(もうその頃は子ではなく大人?)は切り捨てて行くのではないかと勘ぐっています。以前にも書いたように、優劣をつけることを嫌い、手を繋いでみんな同時にゴールさせるような”かけっこ”、”徒競走”に慣れてきた子供達が、そんな弱肉強食の世界に突然放り出された時に一体どんな行動をするのでしょうか? どんな考え方をするのでしょうか? 競争を避けることに慣れてきて、自分を守ることが出来るのでしょうか?   
 ワールドカップのサッカー試合を見てもよく分かります。みんな相手のユニホームを掴んで、後ろから羽交い締めにして、それで得点を得ようとしているではないですか? これだけの手を尽くして勝利を得ようとしている選手達、たかがと云っては怒られるかも知れませんが、サッカーの試合でさえそうなんですよ。ましてや自分が生き残りを賭けるとき、戦わなければ死んでしまうとき、やはり銃を持って立ち上がらなければならないときが或いはあるのかも知れません。ゆとり教育に有事法制が加わったとき、それはもはや今の子供達が大きくなったときには国の為に戦え! と国が云っているのではないかとまで考えてしまうのは、私の行き過ぎでしょうか?